
私はまだオーストラリアに来て間もないですが、日々オーストラリアは「あらゆる多様性を受け入れる国」であることを実感しています。

いろんな人種の人々が暮らしていること、英語ができなくても嘲笑されないこと、世間体を気にせず自分や家族の幸せを追求する姿勢など・・・
本当に日本人が学ぶべきところが大いにあるなぁと感じるよ!
そして、こちらに来て学んだ英語で、好きな言葉があります。
それは、“Who cares?”(誰もそんなこと気にしちゃいないよ!)
本来はややぶっきらぼうな使われ方をする言葉なようですが、私はこの”Who cares?”が自分のモットーになりつつあります。
今日は、オーストラリアに来て感じた多様性と、その多様性を土台にした”Who cares?”の精神について、綴りたいと思います。
多様性を受け入れる国・オーストラリア
私がオーストラリアに住んで、多様性を受容する国だと感じた事柄などを以下、紹介します。
多様な人種の人が暮らしている

オーストラリアの特に都市部は、本当に色々な人種の人が暮らしています。
オーストラリアの国としての歴史は浅く、元々イギリスからの移民で始まった国なので、人種に寛容なことは知ってはいたものの、歩いているだけでも多様な人種がいるのが見てとれます。
(特にアジア系(中華系かな?)が思った以上に多いですね。)
また、英語を母国語としない人も多い。公園で遊んでいても、色々な言語が飛び交っています。

私たち日本人家族が歩いていても、思い切り日本語で会話していても、全く振り向かれることもなく、自然に溶け込んでいるよ!
英語が話せなくても差別されない
移民が多い国で、英語が母国語でない人が多い国だからこそ、英語が話せなくても全く浮きませんし、笑われることはありません。
こちらにきて、学校やchildcare(保育園)の手続きをするときに、私本当にびっくりするくらい英語が聞き取れなかったんです(涙)
でも、こちらの人は英語ができない人の対応に慣れているのか、ゆっくり話してくれたり、個別対応してくれたりなど、親身に対応してくれました。

そのほかにもバスの運転手や、スーパーのレジの人、公園で会う人など、様々な人に英語で話しかけられては、「・・・(チーン)」な返しをしているけど、皆本当に温かいです。

日本だと、日本語が話せない人がいると戸惑う人も多いけど、オーストラリアでは「英語が話せない人もいる」ことを当たり前の事実として受け止めてくれている印象だよ。(まぁそれに甘んじてないで、英語勉強しなきゃね・・・)
自分の好きなことを追求する

極端な例ですが、日本では太った女性がミニスカートを履いて歩いていると、振り返られたりすると思います。
でも、オーストラリアでは、どんな体系であれ、自分の好きな格好をすればいいじゃない?という精神があふれていて、人がどんな格好をしようが(いい意味で)自分には関係ない、といった印象を受けます。
自分や家族の幸せを追求する ~子供の学校の転校は不自然なことではない~
具体的な例にはなりますが、日本だと子供が学校を転校するというのは本当に最後の手段といった印象ですよね。
オーストラリアでは、もちろん転校はしょっちゅうするようなものではありませんが、期中に転校してきた子がいても、誰もその理由を聞かないし、”転校するのはよくあること”というような印象で捉えられているようです。
※基本的に校区は決まっていますが、校区外からの通学も可とする学校もあったりと、日本より転校のハードルが低いようです。

我が子も2月から学校に通うのですが、「ちゃんと打ち解けられるかな」「楽しめるかな」と正直心配でたまらないのですが、現地ママさんは「何とかなるし、何とかならなくてもそのときは転校するなりしたらいいよ。自分の子に合った学校を探し転校することは、オーストラリアではごく自然なことだよ。」と教えてもらい、とても心強かったです。

転校も、家族の幸せを追求するための通過点に過ぎなくて、自然なことなんだね。
「こうあるべき」という概念に縛られていないのが、すごく生きやすく感じる!
障害があっても楽しめる ~公園で「車椅子で楽しめるブランコ」を発見~
私がオーストラリアで感動したのは、車椅子で楽しめるブランコが普通に公園にあったことです。
(発見したのは1か所だけですが、日本では生まれてこの方見たこともなかったです)

人種だけでなく、障害対する理解も日本より進んでいて、まさしくノーマライゼーションを体現している国だなと感じたよ。

“Who cares?” ~私が渡豪して好きになった言葉~
そんなあらゆる「多様性」を当たり前のように受け入れているオーストラリアですが、私はこの国に来て好きになった言葉があります。それは”Who cares?”です。
(オーストラリアだけでなく、英語圏ではどこでも使われている言い回しではありますが)
”Who cares?”の意味とは
直訳すると、「誰がそんなことを気にするの?」
→そこから反語的な訳し方をして、「誰もそんなこと気にししないよ」
→「知るもんか!」
という意味で使われるようです。
なので、”Who cares?”が使われる場面としては、日常の、とても親しい間柄の関係のイメージです。(上司や目上の人に使うと失礼にあたります。それは、日本語でも同じですが)

オーストラリアの”Who cares?”の精神 ~日本人に足りないもの~
先述した多様性の話に戻ります。
日本人からしたら「オーストラリアは多様性に富んでいる」と感じることも、オーストラリア人からすると「当たり前」であり、全て”Who cares?”なんだと思います。
「私、日本人なの」「英語がうまく話せないの」「太っているからスカート履いたら目立つよね」「今の学校楽しくないんだけど転校したらだめだよね。この学校で頑張らなくちゃいけないよね」・・・etc.
→“Who cares?” 「誰もそんなの気にしてないよ!」(気にしているのはあなただけだよ)

ステレオタイプに判断するのはよくないとは思いますが、日本人は世間体や社会からの目を気にしてしまうこと、縛られてしまうことはよくあると思います。
「本当はこうしたいけど、一般的ではないよね」「皆からどう思われるかな」
自分の気持ち・思いと世間体を比較衡量し、物事を判断することも多々ありますよね。
私は、オーストラリアに来てから、そんな厄介なしがらみに悩まされているなと思ったとき、こう自問自答するようにしています。
“Who cares?”

本当に大切なことは何かな?私は、自分や家族が今幸せだったらそれで十分。そんなシンプルなことをこの大きな国で学ばせてもらったよ。
まとめ ~多様性を土台にした”Who cares?”は最強~
オーストラリアに来て、本当に多様性に関して深い理解があるなと感じることが多いです。
そして、多様性を土台にした、いい意味での”Who cares?”の精神を随所で感じることができ、日本人気質の私も本当に見習っていきたいです。
皆さんも見えない何かに悩まされたとき、是非自問自答してください。
“Who cares?”

(上司に向かってつぶやくのもいいかもね・・・!)
以上、どなたかの参考になれば嬉しいです。
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